August 15, 2008

東京出張7日目 「対決 巨匠たちの日本美術」

2212132_img14日は午後2時ごろ仕事が一段落ついたので、
是非とも行きたかった「対決 巨匠たちの日本美術」へ。

30分並んだがスムーズに入場。
すごい人数。
大好きな雪舟の「秋冬山水図」や、俵屋宗達の「風神雷神図屏風」をじっくり鑑賞。
しみじみいいなぁと感嘆。軸や屏風が飾れるような家に住みたいなぁ。
巨匠対決という試行はおもしろいですね。しかもすばらしい作品ばかり。
行ってよかった。

そういえば東京国立博物館にいくのは10年ぶり。かけ足で考古の展示をさらりと見る。
ハート形の土偶やハニワがかわいらしい。

会社へ戻って少しだけ仕事をして、宿舎へ戻る。

夕食は、またまた三越デパ地下で済ます。

2212143_img銀座・天一の天丼と、総菜屋で買った豚しゃぶサラダ。
ビールとともに五輪野球を見ながらいだだく。
(いつの間にかうたた寝して、気づけば試合は終わっていましたが)
うーむ、満足満足。

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14日 14446歩 北島 2冠連覇。すごすぎる

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October 21, 2007

「黄泉の世界」を体感

20、21日は、普段はあまり公開されていない多くの福岡県内の装飾古墳の内部が、特別に見学できる。
休みだった20日は、桂川町にある「王塚古墳」と、筑紫野市の「五郎山古墳」を巡った。

Img_0323キトラ古墳の白虎の見学会では2時間ほど並んだので、今回も結構待たなきゃならないかもと、戦々恐々としたが、結構閑散としていて拍子抜け。
春と秋の計4日間しか一般公開されていないので、みなさん、見に行きましょうよ。

待つことなく、石室わきにある保存施設に入り、小窓から玄室を眺める。奥壁はよく見えなかったが、玄門の壁画は意外に鮮やかに残っていた。
馬が見える。蕨手文も。
高松塚やキトラの壁画とは異なり、繊細さはないものの、原始の魂の叫びがひしひしと伝わってくる。
とてつもなく力強く恐ろしい「念力」や「魔力」のようなものを感じ、なんだか怖気づいてしまう。
まさに黄泉の世界が具現化されたようで、ぞっとした。

Img_0329Dscn2034Dscn2029Dscn2033近くにある「王塚装飾古墳館」には実物大の石室が復元されている。玄室に入ると、やはり不思議な感じがする。
この絵の構成を考えた人の宇宙観、想像力に脱帽する。

この後、40分ほど南下し、五郎山古墳へ向かった。

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September 02, 2007

鑑真和上展

ここ数日の生活といえば、
昼に起きてジョギングし、夕方会社へ行って仕事。
同僚と朝まで飲んで帰宅、また昼に起きる…
といった、ひどいサイクルに陥っていた。

やっと一息つき、3日から夏休み。
家族サービスの旅行へ行く予定だが、
ほとんど準備ができていない…。


先日、福岡市博物館で催されている「鑑真和上展」へ行く。
唐招提寺は解体修復の工事中で、そのため、寺宝を各地で公開しているらしい。

唐招提寺がまるまる移ってきているようで、いろいろ勉強になったが、

特に、国宝の鑑真和上坐像はすばらしい。

ガラスケースに入っているが、
坐禅しているお姿や表情、背中を、間近に見ることができる。

55歳の時、日本人留学僧に懇願され、日本へ渡航することを決意された鑑真さん。
幾度も失敗し、日本に渡航できたのは12年後の6度目のとき。
その時すでに鑑真さんは失明されていた。

坐像を眺める。静かで穏やかなお顔は、何もかも超越した感じがして神々しい。手を合わせずにはいられない。
奈良でもなかなかお会いできないのに、福岡の地で再会できるとは。

展覧会はきょう2日まで。
ご覧になっていない方は、是非是非どうぞ。

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ジョギングの汗で、万歩計が壊れてしまいました。
なので歩数は当分記せません。

 1日 近くの浜を2往復
30日 夕方は天下一品でチャーハン定食。夜は中州の居酒屋
29日 浜を2往復

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June 04, 2007

志摩をめぐりつつ志登支石墓探索

2日は丸1日休みだったので、
久しぶりの家族サービス。
志摩半島をぐるり1周することにした。

風光明媚な「二見ケ浦」や「芥屋(けや)の大門(おおと)」を楽しみ、
芥屋の民宿兼食堂「磯の屋」でサザエのつぼ焼き(4個で630円。関西人の感覚からすると、安い)と刺身つき天麩羅定食(1545円)を堪能。

で、私的にはこの日のメインディッシュ、志登支石墓(しとしせきぼ)へ。
支石墓を簡単に言うと、棺を地面に埋め、その上に「石で作ったちゃぶ台」がのっかっているもの。
Kankokunodorumen左は、世界遺産に登録されている韓国の支石墓。
ごっつ立派だが、日本のそれは、韓国のものに比べて小型。
縄文時代のかなり遅い時期から弥生時代の早い時期にかけて、主に北部九州で流行した。
こんなものが見られると思い、
勢い勇んで、現地へ向かう。

畑の中に、まるで小島のように木が数本立っている場所がある。そこに支石墓があった。
Img_8497Img_8498Img_8500うーむ、「ちゃぶ台」が完全に地中に埋もれている。
なんだか、建物の礎石がぽつぽつあるのと変わりがないので、
正直あんまり面白いものではなかった。
嫁と息子は、車から出てくることなく、
俺を「物好きな変な人」のような眼で見ている。

消化不良だったので、糸島の手作りハムと、地ビールと日本酒を買って帰りました。
(日本酒はユニークなので、後日また書きます)

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3日 15776歩 大濠公園まで往復歩く。疲れた
2日  7939歩 玄界灘はきれいだねぇ

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June 02, 2007

ぶらぶら遺跡巡り②一風堂食って、須玖岡本遺跡へ

金隈遺跡から福岡市の埋蔵文化財センターへ行き、
展示されてる遺物を見学。
あんましおもろなかったなぁ。

消化不良のまま、腹が減ったので、
「博多一風堂」大宰府インター店へ。
大阪の長堀店にしかいったことがなかったけど、その店は覇気が感じられないというか、
店員のやる気が見られないというか、よくわからないけど、はっきりいってまずかった。
あまり期待せず、こってり味の「赤丸」にチャーハンがついたランチを頼む。

Img_8406麺は極細。チャーシュー2枚に、木耳(きくらげ)と刻み葱。
スープの表面には、香油(こうゆ)が浮かび、チャーシューの上には辛し味噌がのっかっている。

うむうむ、おいしいやん。
コクも深みもあるけど、臭みは全然ない。意外に上品な味わい。
チャーシューもでっかくてやわらかくて、脂身が多めで、嬉しい。
カウンターには定番の紅しょうがや高菜のほか、もやしキムチが置かれていて、
ラーメンに入れて食べると、これまたいい感じ。

店員もてきぱきしていて気持ちいい。
でも850円は高いなぁ。

いい気分で店を出て、メタボ腹をさすりながら、春日市にある「奴国の丘歴史公園」へと走る。
この付近は「須玖(すぐ)岡本遺跡」と呼ばれ、金印の「漢委奴国王」で有名な奴国の中心地といわれている。
奴国の王墓、王族墓や、青銅器工房群(弥生時代のシリコンバレーみたいなところ)などがある重要なところ。

ここに「奴国の丘歴史資料館」があるでの入ってみる。
Img_8413Img_8415(左)勾玉(まがたま)も管玉も、きれいやなぁ。
(右)小さい銅鐸の鋳型と、その復元品。
あああ、かわいかーー。こんな携帯ストラップあったら、絶対買っちゃうな。

【遺跡紹介】
住所:春日市岡本3丁目。JR鹿児島本線南福岡駅から徒歩20分。
奴国の丘歴史資料館は、9~17時開館(入館は16時半まで)。第3火曜日と、12月28日~1月4日休館。入館無料。電話092-501-1144

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1日  5443歩 昼も夜も粗食。疲れたぁ。

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June 01, 2007

ぷらぷら遺跡めぐり①金隈遺跡

私は予備校生のころまで福岡に住んでいたのだが、
そのころ、身近に弥生時代の重要な遺跡がわんさかあるなんて、全然知らなかった。
教科書に載っている遺構もたくさんあるので、すこしずつ巡っていきたい。

奈良へ帰省していた嫁が飛行機で帰ってくるので、
お迎えがてら、空港そばにある遺跡をいくつか回りました。

正午すぎに自宅を出発。まずは金隈(かねのくま)遺跡。

福岡市教育委員会のHPなどによると、
「北部九州地方の弥生時代の特徴的な墓制である甕棺(かめかん)墓を主とする墓地跡。
標高30㍍の丘陵上に、前期から後期にかけての甕棺墓348基、
土壙墓・木棺墓119基、石棺墓2基が営まれていた。
甕棺墓では小児用の数が圧倒的に多い。
残された人骨の一部には抜歯の風習がみられた。
ゴホウラ製貝輪、玉等を持つ甕棺もあるが、特にきわだつ副葬品は見られず、
一般集落の長年にわたる典型的な共同墓地と考えられる。
現在史跡公園として整備され、
展示館内では、弥生時代の甕棺墓や土壙墓が発掘された姿のまま見学できる」

という。いわゆる当時の霊園ですね。

その展示館に入ってみる。

Img_8389うひゃーー、ほんま甕棺だらけや。密集しているのがよくわかる。
弥生時代も霊園用の土地は不足していたんかなあ。
人骨なんかもそのまんま置かれているので、やや気味が悪い。
ぐるりと1周。


Img_8394Img_8399左は弥生時代の福岡湾沿岸(いま住んでいるところの近く)で発掘された弥生土器。近畿の土器が一番綺麗だと思っていた昔は「ださくて田舎臭い形やなぁ」なんて小馬鹿にしていたが、いま見てみると、なかなか味がある。
右は、甕棺。でっかいなあ。

福岡もなかなかやるなと再評価しながら、次の遺跡へ向かいました。

【遺跡紹介】
住所:福岡市博多区金隈字観音浦。西鉄バス「金隈遺跡前」下車、徒歩5分。看板あり。
展示場(金隈遺跡展示館)は、9~17時開館(入館は16時半まで)。12月29日~1月3日休館。入館無料。電話092-503-5484

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下川裕治「アジアの誘惑」(講談社文庫)
 この人のように、自然体で旅がしたい
森嶋通夫「血にコクリコの花咲けば」(朝日文庫)
 経済学の泰斗である森嶋先生が、太平洋戦争をどう生き、どう見たか。
 学生時代と海軍時代をふりかえる自叙伝。
 このような人こそ真のインテリゲンチャだ

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31日 10481歩 後輩6人と地鶏屋へ飲みに行き、勢いで全額おごってしまう
30日  6874歩 後輩への指導などなど。偉そうなことをいう自分が恥ずかしいが
29日  8964歩 息子たちが帰ってきた。歓喜
28日  4593歩 松岡農水相が自殺。
            何もしゃべらずに命を絶つのは卑怯だ。
            これで、よく「道徳」うんぬんのたまえるのが不思議。
            怪しい人が口封じのために自殺する。これが 「美しい国」なのか

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January 17, 2007

阪神大震災と「ポンペイの輝き」展

阪神大震災から12年。

当時箕面の文化住宅の2階に住んでいた俺はあの日、徹夜で仕上げた大学の卒論を提出し、疲れ切って眠っていた。
突然の激しい揺れ。始めはトラックが1階にぶつかった夢を見ていたが、それが現実だとわかったとき、何も考えられなかった。震源が阪神・淡路だとは思わなかった。東京が潰れた、と思った。


16日、天保山のサントリーミュージアムで開かれている「ポンペイの輝き 古代ローマ最後の日」展へ行ってきた。
ポンペイはヴェスヴィオ山の噴火で一昼夜に渡って火山灰が降り続け、翌25日に完全に地中に埋まった。
神戸に似ていて、港湾都市として栄えていた。

Img_6657サントリーミュージアムは初めて。天保山も3年ぶりぐらいかなぁ。

宝飾品は精緻で、古代ローマの豊かさや技術力の高さがよくわかったが、
一番心を打ったのは、樹脂で型取られた32人の犠牲者の姿。
19時間にわたった噴火の悲劇が凝縮されているように感じた。
どうしても、神戸と重ね合わせてしまう。

大変充実していて、いい気分。
図録(2300円)は、高いぞ!!
久しぶりの天保山。やや小雨交じりの悪天候だったが、せっかくきたのでぷらぷら散歩する。

Img_6659「なにわ食いしんぼ横丁」を発見。昼食をとろうと思ったが、
「自由軒」や「北極星」など有名店があるものの、
入りたくなるような雰囲気ではなくかったので、退散しました。
 
 
 
 

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吉村昭「回り灯籠」(筑摩書房)
 吉村さんのエッセーは、凛としていて品が感じられる。こういう文章が書けるようになりたいが、道は遥か。

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16日 11878歩 昼食は結局、北新地のラーメン屋

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November 05, 2006

春日大社でお宮参り

長男が産まれてほぼ一ヶ月ということで、5日の日曜日、春日大社にお宮参りへ行く。
普段なら春日大社まで20分もかからないが、今日は3連休の最終日+正倉院展+やや紅葉+七五三という、もう絶対混むに違いないという状態だったので、心持ち早めに出発。実家を8時50分ごろ出たら、30分前後で着いた。

秋晴れの気持ちいい一日。

七五三の受付は混雑していたらしいが、お宮参りは空いていた。

Dsc_0011_2帽子やらベビードレスやらを着せ、おめかしした。

4組そろって祈祷所へ入る。
厳かな雰囲気の中、ご祈祷が始まる。わが子はすぐにぐずり出し、大声で泣き始めた。
笛や筝の音が厳かに流れ、2人の巫女が舞う。ああ、日本文化のど真ん中にいるんだなぁと、しみじみ思う。
ただ、うちの子は、そんなことを感じるはずもなく、神官の祝詞奏上やお祓いのときも、ずーーっと泣いたまま。
帽子を脱がせたり、母の代わりに嫁が抱きかかえたりしても、全く効果なし。バタバタ暴れるので、せっかくのベビードレスも下半身がはだけてしまう有様。

まあ、春日の神様にはしっかり覚えてもらえたことでしょう。

祈祷が終わり、本殿の方へ動き出すと、ぴたっと泣き止んだ。

久しぶりに境内をぶらぶら歩く。朱の色の鮮やかなこと。

ご祈祷料は1万円。
名前や生年月日、お宮参りの日などが書かれた藤色のアルバム、お札、お守りをいただく。
このアルバムは、七五三や十三詣、成人式のところの年月日が空白になっていて、その時に持っていくと日付を書いたり印をおしてくれるようになっている。もう春日大社から離れられないのだ。

お昼は奈良市内から少し離れた「あやめ館」で昼食。「秋・味覚会席
」という、旬の食材をふんだんに使った料理で、堪能しました。

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4日 8384歩。
   会社の地下に、怪しくて大阪の濃いおばちゃんがいる食堂を発見。こんど紹介します。

3日 7819歩。

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October 27, 2006

またまた佐紀盾列古墳群へ

 「食欲の秋」だからだろうか。とにかく食が進んで困る。
 先日、上司に社員証の写真と今の姿をしげしげと見比べられ、「あまりに違いすぎるなぁ。面影がどこにもない」 としみじみ言われたので、また歩いてやせようと思う。

 平城宮跡資料館の駐車場に車を停め、佐紀の町をぶらぶら。

Img_5951_1Img_5959_1 歩いて数分のところに、奈良で一番大きな百貨店「奈良ファミリー」があるとは思えないほどのどか。時間の流れがゆったり感じられる。柿がいい色合いになっている。夕方の大和路。カラスが鳴く。
Img_5952_1Img_5950_1 左が佐紀陵山古墳、右が佐紀石塚山古墳。
 佐紀陵山古墳は全長206mの前方後円墳で、ここにも周濠が巡っている。
 この古墳は垂仁(すいにん)天皇の皇后だった日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)を埋葬した御陵とされている。もちろん間違いだが、この古墳は、埴輪(はにわ)の起源に関する伝承で有名である。ちょっと長くなるが、自分の中での理解を整理するためにもだらだら書きます。

 垂仁天皇28年に天皇の弟の倭彦命(やまとひこのみこと)が死んだ。そこで、かれの近くに使えていた者たちを集め、その墓に「生けながらにして」「埋めて立」てた。かれらは、日がたっても死なず、昼夜うめき泣いた。その声を聞いた天皇は「亡者(しぬるひと)に殉(したが)はしむる」は痛々しく、古くからの習俗だが、よくないことだから、今後はやめろと命じた。32年に皇后の日葉酢媛命が死亡。どうするか、群臣に意見を求めたところ、野見宿禰(のみのすくね)が土で「人、馬および種々の物の形をつくり」、それを「生きたる人にかへて陵墓にたて」ることを提案、実施されることになった、という。一つの策を奏上した。埴土(はにつち)で人や馬やいろいろな物を形造って陵墓に立てたらどうか、というのである。
 天皇はこの提案を非常に喜び、野見宿禰に埴輪作りを命じた。彼は郷里の出雲から百人の土師器(はじき)職人を呼び寄せ、埴輪を作り陵墓に立てた。天皇は野見宿禰の功績を称えて、土師の職に任じ、本姓を土師臣(はじのおみ)に改めさせたという。ちなみに、野見宿禰は、垂仁天皇のときの天覧相撲で、出雲から呼び出され、当麻蹶速(たぎまのくえはや)という者と相撲をとり、みごと勝ったことでも有名である。

 周濠のまわりに埴輪が落ちていないか探してみたが、宮内庁の管理がいきとどいているためかどうか、見つけることが出来なかった。

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October 17, 2006

石のカラト古墳散策

佐紀盾列(さきたてなみ)古墳群から北西へ十数㌔の住宅地内。孤高を持するかのように、ポツリと築かれていて、昔から気になっていた「石のカラト古墳」へ行ってきた。

この古墳、平城京へ遷都した710年前後に造られたと考えられている。
高松塚古墳やキトラ古墳とほぼ同じ時期だけど、壁画が残っていないので、知名度は低い。
古墳の形が変わっていて、方形の土台に円墳を乗せた、いわゆる「上円下方墳」。
この形は、古代でもかなり権力があった人しか認められていないので、
この古墳の被葬者も、当時のトップクラスだった可能性があります(昭和天皇の墓も、この形です)。

で、「カラト」って何やねん??

まずは現地へ。

説明板によると、
「カラト」の名はこの石室が唐柵に似ていることからつけられたらしく、石室内は盗掘のため、荒らされていましたが、漆塗りの棺が納められていたらしく、漆の破片、金・銀の玉など豪華な副葬品の一部が出土しました」とあります。

唐柵って何?? おそらく、古代中国の柩(ひつぎ)なのでしょうか。全然わかりません。(というか、この説明を書いた人も分かっているのでしょうか?)
非常に不親切でやや怒りが。

Img_5758墳丘を見てみると、とても丁寧に作られたのがわかります。発掘調査後に復元されたので、葺石がきれいに敷き詰められています。
周囲に木々が茂っているので、この古墳から奈良盆地が見えるのかどうか分かりませんが、なだらかな斜面に造られており、日当たりはよさそう。
風水から見ると、いい位置なんでしょうね。

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Yuuto1きょうもミルクをいっぱい飲んで、元気にお休み中。

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