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October 27, 2006

またまた佐紀盾列古墳群へ

 「食欲の秋」だからだろうか。とにかく食が進んで困る。
 先日、上司に社員証の写真と今の姿をしげしげと見比べられ、「あまりに違いすぎるなぁ。面影がどこにもない」 としみじみ言われたので、また歩いてやせようと思う。

 平城宮跡資料館の駐車場に車を停め、佐紀の町をぶらぶら。

Img_5951_1Img_5959_1 歩いて数分のところに、奈良で一番大きな百貨店「奈良ファミリー」があるとは思えないほどのどか。時間の流れがゆったり感じられる。柿がいい色合いになっている。夕方の大和路。カラスが鳴く。
Img_5952_1Img_5950_1 左が佐紀陵山古墳、右が佐紀石塚山古墳。
 佐紀陵山古墳は全長206mの前方後円墳で、ここにも周濠が巡っている。
 この古墳は垂仁(すいにん)天皇の皇后だった日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)を埋葬した御陵とされている。もちろん間違いだが、この古墳は、埴輪(はにわ)の起源に関する伝承で有名である。ちょっと長くなるが、自分の中での理解を整理するためにもだらだら書きます。

 垂仁天皇28年に天皇の弟の倭彦命(やまとひこのみこと)が死んだ。そこで、かれの近くに使えていた者たちを集め、その墓に「生けながらにして」「埋めて立」てた。かれらは、日がたっても死なず、昼夜うめき泣いた。その声を聞いた天皇は「亡者(しぬるひと)に殉(したが)はしむる」は痛々しく、古くからの習俗だが、よくないことだから、今後はやめろと命じた。32年に皇后の日葉酢媛命が死亡。どうするか、群臣に意見を求めたところ、野見宿禰(のみのすくね)が土で「人、馬および種々の物の形をつくり」、それを「生きたる人にかへて陵墓にたて」ることを提案、実施されることになった、という。一つの策を奏上した。埴土(はにつち)で人や馬やいろいろな物を形造って陵墓に立てたらどうか、というのである。
 天皇はこの提案を非常に喜び、野見宿禰に埴輪作りを命じた。彼は郷里の出雲から百人の土師器(はじき)職人を呼び寄せ、埴輪を作り陵墓に立てた。天皇は野見宿禰の功績を称えて、土師の職に任じ、本姓を土師臣(はじのおみ)に改めさせたという。ちなみに、野見宿禰は、垂仁天皇のときの天覧相撲で、出雲から呼び出され、当麻蹶速(たぎまのくえはや)という者と相撲をとり、みごと勝ったことでも有名である。

 周濠のまわりに埴輪が落ちていないか探してみたが、宮内庁の管理がいきとどいているためかどうか、見つけることが出来なかった。

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Comments

こんばんわ いゃーいいですね。柿、コスモス、すすき、秋まっさかりです、奈良は柿が似合います
佐紀路は一度歩いたことがあります、たしかラジオウォークだったかな。いっぱいの人で歩いただけでした。ゆっくりと散策してみたいです。

Posted by: あきみず | October 27, 2006 09:17 PM

あきみずさんこんにちは。「柿くえば…」ではないですが、確かに秋の大和には柿が似合いますね。
昼下がりから夕方にかけて、一人もしくは少人数での散策がおすすめです。暮れ行く風景に、秋の深まりが感じられます。

Posted by: ノープラン | October 28, 2006 11:47 AM

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